2013年12月12日木曜日

昭和歌謡の小径と憧憬 序;バブル、それは忘れかけてた渚のDeja-vu


 硝子のレプリカント/早瀬優香子('86)

 ことばとは不思議なもので、万巻の書をもってしても表現しつくせないこともあれば、たった一つのことばにすべての込めたい意味が結晶することだってあります。古の詩人から現代のシンガーソングライターに至るまで、自分だけの「結晶」をおいもとめる姿勢はそんなに変わるところがない。

(このような突き抜けた感性も民族的「結晶」とよべるでしょうか)

それでも、現代からは喪われた言語感覚はたしかにあると思います。いまを生きる僕たちは、プレイヤード派の詩人たちがのこした詩作からなにものかを受け取ることはできても、かれらがソネやオードにほどこした過剰なまでの装飾に違和感(という名の関心)を感じずにはおれません。こうした違和感(関心)は、なにも16世紀フランスという時空を隔てた文化を眺めずとも、たとえばバブル期日本の流行を振り返っても抱くことができます。

 最近の女性の装いでも、「朱い口紅(赤いルージュみたいで可笑しな表現ですね)」のようなバブル期を髣髴させる要素を取り入れるのが流行しているといいます。地面と殆ど水平をなす肩線やニットにも入れた肩パット、明らかにゆとりがあり過ぎ、縫い合わせ線のきわめて低いダブルブレステッドのジャケット、幅広で極彩色のプリントタイ、「ボディコン」、「ワンレングス・ボブ」…30年ほどの時を経たいま、俯瞰でそれらを眺めてみると、奇異な印象だけではなく、いまにも共通している「何か」を感じます。

(泉麻人著『街のオキテ』、単行本初版は1986年12月)

 この「昭和歌謡の小径と憧憬」では、いまの音楽にはない抗し難い魅力を持った昭和の歌謡曲(厳密な意味での歌謡曲以外もふくむ)を皆さんと聴き直してみたいと考えています。序である今回は、最近僕の頭をぐるぐる回り続けている一曲、早瀬優香子の『硝子のレプリカント』(1986年4月25日発売)を取り上げます。作曲が井上大輔、作詞に泉麻人、編曲が西平彰、しかもポカリスエットCF曲…まさに「ザ・バブル」の申し子といってよいのではないでしょうか。

 『硝子のレプリカント』を知ったのは、安藤裕子が様々な唄い手の曲をカバーしそれをまとめたアルバム「大人のまじめなカバーシリーズ」を聴いたことがきっかけでした(とても良いカバー・コンピレーションとして強力にお勧めできる一枚です)。安藤裕子のカバーアルバムにおさめられているのは『セシルはセシル』のほうですが、(シングル盤発売当時の)A面にあたるこの曲も、作詞を秋元康が担当したという「いかにも!」と叫びたくなる佳曲なのです。

(ミレーユ・ダルクとアラン・ドロン)

 『セシルはセシル』はギターの乾いたカッティングと打ち込みのリズムパターンが「いかにも」80年代半ばでダサかっこ良く、また「よくあるパターンの ミレーユ・ダルクね」という歌詞にもクリビツテンギョーしましたけど、『硝子のレプリカント』はそれを上回る衝撃を僕に与えてくれました。

  早瀬優香子はもともと子役出身の女優で(「俺はあばれはっちゃく」の初代ヒロインとしてテレビに初登場)シンガーソングライターではないので、『硝子のレプリカント』に彼女のもつ言語世界が反映されているという訳ではないのです。それでも、ふわふわとした独特のささやくような唄い方はフレンチ・ポップスを過剰に意識した曲調とみごとに合致し、彼女にしか表現できない「物憂げ」で「人工的」なバブリィさとして結実しています。

 (1986年のポカリスエットCF、出演はソフィ・ドゥエス)

 『硝子のレプリカント』の歌詞をたどると、徹頭徹尾、人工的・バブル的隠喩によって満たされていることがわかります。ちょっと列挙してみましょう…シンメタリック・プリンセス、硝子のレプリカント、真昼のテンプティション、忘れかけてた渚のDeja-vu、スパター模様、イリュージョン…キリがありません。要するに、用いられている表現すべてが「ああ、バブル!」なのです。当時「ナウでヤング」だった要素、「イケてる」とされていた事象が、日本語なのかフランス語なのか判別できない早瀬の「物憂げな」歌唱によって結晶した曲、それが『硝子のレプリカント』だと僕は思います。そういえば1982年公開の映画『ブレードランナー』のレプリカントも、人間そっくりな「人工的」存在でした。
 

(『ブレードランナー』のレプリカントの一人、プリス)

 今回は序ということですこし長く書きましたが、今後の「昭和歌謡の小径と憧憬」は楽曲紹介とかんたんな感想を書くにとどめようと考えています。文化論のような評論が目的ではありませんし、なにより音楽をたのしんでいただくことを優先したいと思うからです。

2013年12月10日火曜日

もぐらとひつじとやぎの季節 -其の壱、もぐら篇-

風邪癒えぬ身の盛装を凝らしたり 誓子


(上衣はARNYSのショートジャケット&ロングベスト、シャツはAlessandra Mandelliの誂え、ポケットスクエアはARNYS、アスコットはARNYSのヴィンテージ・シルク)

 皆さま、すっかりご無沙汰しております。前回更新してからはや一年以上が経ってしまいました。一度更新が滞ってしまうと加速度的におっくうさが増すようで、元来ぐうたらな性格の僕はそれにまんまとはまり込んだというわけです。こんな僕に、もっと読みたいからしっかり書いてくれ、と叱咤激励してくださったすべての方に感謝申し上げます。

 さて昨今めっきり冷え込んできましたが、こんなときこそ身も心もあたたかくなるような素材で仕立てられたものを纏いたいですね。「もぐらとひつじとやぎの季節」という三回ものの連載の題名は、それぞれの動物にまつわる織物をイメージしてつけました。第一弾である今回の題材は、「もぐら」すなわちモールスキン(のような生地)で仕立てられたARNYS製ショートジャケット&ロングベストです。C商会がARNYSを扱っていたころのものですから、今から20年ほど前の服ということになりましょうか。右身頃が前になっているので女性用かも知れませんが、サイズ・素材表記もないため、どのような経緯でつくられたのかさえ判然としません。誂えたように僕の身体にフィットしてくれるので、そうした瑣末事はさておき、いま一番気に入っている上衣…


   モールスキンと一口にいっても様々な質感や触感をもったものがあるといいます。もぐらの毛皮のような触り心地だから、とか、炭坑夫たちの着ていた服の素材だったから、とか語源についても諸説あるそうです。僕は素材について無知なのでこれがモールスキンなのかどうか確証がもてないのですが、ベルベットやベロアではなかろう、ということで(題名ありきということで)ご紹介することにしました。

 それにしてもモールスキンにはどこか野暮ったく垢抜けない部分、裏を返せば素朴な野趣の魅力があるようです。綿織物であること、出自が野良着という耐久性・保温性を求められる衣服用素材でありながら、ふっくらとした柔らかさ、身体の動きへのしなやかな追随性を兼ね備えていること、が身に纏ったときにどっしりとした安心を感じさせてくれます。こいつなら、雨や雪が降ってきても、冷たい風がふいてきても、僕の身体をまもってくれる…そんな気にさせてくれるのです。服というより相棒と呼びたくなる。


   このARNYSのショートジャケット&ロングベスト、裏地には当たり前のようにシルク(この黄金…いや稲穂色も豊かな色です)を全面にあしらい、橄欖緑色とも海松色とも呼べそうなモールスキンの表地との美事な対比をなしています。裁断やデザインもさることながら、僕がいつもARNYSの品に惹かれるのは、この素材と色の「妙なる不調和」のためです。他のメゾンではまずやらない(出来ない)ような組み合わせを平然とやってのけ、しかもそれが品格と伝統の重みを兼ね備えた斬新な品として結実しているのをみるにつけ、「粋」とか「艶」といったことばだけでは収まりきらない、「婆娑羅」とでもいうしかない先進性を感じるのです。
  

 そもそも、ジャケットを短く、ベストを長くして、それらを普通とは逆の順序で重ねて着る、という発想は誰が思いついたのでしょう。しかも共に襟なし…常軌を逸した服です。この服をご覧になって、「変わったところに切り返しのあるジャケットですね」とおっしゃる方に、僕は「よくご覧になってください、不思議な服ですよ…」と笑いながらこたえます。すると、暫く注視されたのち「ああ!」と驚きの声をあげられる、そんな方が殆どなのです。

 そうしたやりとりが新たな縁をうむこともあるのですから、この不思議な服には全く感謝せねばなりません。しかしよく考えてみると、18世紀後半くらいまではベスト(英語ではダブレット、フランス語ではプールポワンと呼ぶそうです)に袖があった記録がのこっていますから、その過渡期のふたつの「ダブレット」を重ねてショートジャケットとロングベスト(に見えるよう)に仕立てた、とも考えられる。とすれば、この服は洋服の歴史と伝統を踏まえつつ、現代的に再構築された「ネオ・ダブレット」とも解釈できそうです。

(1770年の袖ありベスト)

(1790年の袖なしベスト)

 憶測や妄想も交えつつ長々と書いてきましたが、要するに僕はこの服にぞっこんだということです。襟なしということもあり合わせるものを撰びそうですが、タートルネックのニットにストール、ボウタイにシャツ、もちろん普通にタイドアップしてもしっくりくる、実に懐の深い「もぐら」くんといえましょう。

 最後に冒頭の写真の全体像を…靴はAubercyのギリーふうプレーントゥですが、このデニム、なんと10年以上前に買ったイタリア製ジャン・ポール・ゴルチエなのです。全く相関関係のなさそうなメゾンのものを組み合わせて着たい、わがままな僕に寄り添ってくれるこの服には(パートナー同様)墓場までご一緒願うほかなさそうです。

 次回は「ひつじ」篇、ウール生地で出来た真冬に活躍する頼もしい「ヴェネツィア貴族」をご紹介したいと思います。それでは…