硝子のレプリカント/早瀬優香子('86)
ことばとは不思議なもので、万巻の書をもってしても表現しつくせないこともあれば、たった一つのことばにすべての込めたい意味が結晶することだってあります。古の詩人から現代のシンガーソングライターに至るまで、自分だけの「結晶」をおいもとめる姿勢はそんなに変わるところがない。
(このような突き抜けた感性も民族的「結晶」とよべるでしょうか)
最近の女性の装いでも、「朱い口紅(赤いルージュみたいで可笑しな表現ですね)」のようなバブル期を髣髴させる要素を取り入れるのが流行しているといいます。地面と殆ど水平をなす肩線やニットにも入れた肩パット、明らかにゆとりがあり過ぎ、縫い合わせ線のきわめて低いダブルブレステッドのジャケット、幅広で極彩色のプリントタイ、「ボディコン」、「ワンレングス・ボブ」…30年ほどの時を経たいま、俯瞰でそれらを眺めてみると、奇異な印象だけではなく、いまにも共通している「何か」を感じます。
(泉麻人著『街のオキテ』、単行本初版は1986年12月)
『硝子のレプリカント』を知ったのは、安藤裕子が様々な唄い手の曲をカバーしそれをまとめたアルバム「大人のまじめなカバーシリーズ」を聴いたことがきっかけでした(とても良いカバー・コンピレーションとして強力にお勧めできる一枚です)。安藤裕子のカバーアルバムにおさめられているのは『セシルはセシル』のほうですが、(シングル盤発売当時の)A面にあたるこの曲も、作詞を秋元康が担当したという「いかにも!」と叫びたくなる佳曲なのです。
(ミレーユ・ダルクとアラン・ドロン)
『セシルはセシル』はギターの乾いたカッティングと打ち込みのリズムパターンが「いかにも」80年代半ばでダサかっこ良く、また「よくあるパターンの ミレーユ・ダルクね」という歌詞にもクリビツテンギョーしましたけど、『硝子のレプリカント』はそれを上回る衝撃を僕に与えてくれました。
早瀬優香子はもともと子役出身の女優で(「俺はあばれはっちゃく」の初代ヒロインとしてテレビに初登場)シンガーソングライターではないので、『硝子のレプリカント』に彼女のもつ言語世界が反映されているという訳ではないのです。それでも、ふわふわとした独特のささやくような唄い方はフレンチ・ポップスを過剰に意識した曲調とみごとに合致し、彼女にしか表現できない「物憂げ」で「人工的」なバブリィさとして結実しています。
(1986年のポカリスエットCF、出演はソフィ・ドゥエス)
『硝子のレプリカント』の歌詞をたどると、徹頭徹尾、人工的・バブル的隠喩によって満たされていることがわかります。ちょっと列挙してみましょう…シンメタリック・プリンセス、硝子のレプリカント、真昼のテンプティション、忘れかけてた渚のDeja-vu、スパター模様、イリュージョン…キリがありません。要するに、用いられている表現すべてが「ああ、バブル!」なのです。当時「ナウでヤング」だった要素、「イケてる」とされていた事象が、日本語なのかフランス語なのか判別できない早瀬の「物憂げな」歌唱によって結晶した曲、それが『硝子のレプリカント』だと僕は思います。そういえば1982年公開の映画『ブレードランナー』のレプリカントも、人間そっくりな「人工的」存在でした。
(『ブレードランナー』のレプリカントの一人、プリス)
今回は序ということですこし長く書きましたが、今後の「昭和歌謡の小径と憧憬」は楽曲紹介とかんたんな感想を書くにとどめようと考えています。文化論のような評論が目的ではありませんし、なにより音楽をたのしんでいただくことを優先したいと思うからです。