2012年10月23日火曜日

コチャルスキのショパン演奏とSpigolaの誂え靴 -生きた伝統の継承-

秋雨の子を遊ばする蓄音機 かな女

(ポーランドの名洋琴家、コチャルスキによるショパンの夜想曲変ホ短調

 このところ、秋雨がよく降っています。雨のせいか肌寒さもひとしおで、人肌恋しい季節になったことを実感しています。同級生夫婦のカフェでレコードを聴かせてもらったことがきっかけで、大滝詠一さんや山下達郎さんの音楽を毎日のように愉しんでいましたが、ある雨降りの夜にふと想いだしてラオル・フォン・コチャルスキ(1885-1948)というポーランドの洋琴家のふるい録音を引っ張りだしてきました。コチャルスキはショパンの弟子であったカロル・ミクリ(1819-1897)の薫陶を受けたひとなので、ショパン直伝の洋琴演奏を自家薬籠中の物にしていた最後のひとりといえます。ミハウォフスキやローゼンタール同様当時でも伝説的な存在だった訳ですが、1948年まで存命であったため、幸いなことによい録音をたくさん遺してくれました(その割に知名度は低いのが気がかりです)。ベートーヴェンやリストの演奏も素晴らしいですが、なんといってもショパンの孫弟子、ショパン解釈にかけては他のどの洋琴家とも異なる世界を展開しています。

 音楽評論家ハロルド・C・ショーンバーグ(1915-2003)は著書"The Great Pianists -From Mozart to the Present-"(1963)のなかで、古今の名洋琴家の逸話を愛情たっぷりに語っています。コチャルスキについての言及は第二十四章の一段落に過ぎませんが、かれの神童っぷりが短くまとめられており、また邦訳が絶版になっていますので、僕の拙い訳でご紹介したいと思います。

 「…ラオル・フォン・コチャルスキもまた、相当な注目をあつめたポーランドの洋琴家だった。あらゆる洋琴家は神童として出発するものだが、フォン・コチャルスキはその血筋からしてすでに別格であった。かれは四歳にしてデビューを飾り(訳者注、正しくは三歳)、七歳で演奏旅行をしてまわり、まだ子供であるのにペルシャ王室の宮廷洋琴家となったのである。九歳までに作曲した作品は四十六を数え、十一歳のときには公開演奏一千回を達成した。数多あるフォン・コチャルスキの録音のなかでも、ショパンのよく知られた夜想曲変ホ短調(作品番号九の二)を『正統な異稿』つきで弾いたものは、魅力に満ちている。かれの手にかかると、この夜想曲から次から次へと華が咲きだすのである。おそらくこれらの異稿は、フォン・コチャルスキの同郷人にしてショパンの弟子であったカロル・ミクリから伝えられたものであろう。もしこれらの異稿が真にショパンから伝えられたものであるなら、この録音はとても価値のある歴史的記録といえる。なぜならば、この録音こそ、ショパンがいつも自分が書いた通りに自作を演奏せず、作品がその時その場で最高のものとなるよう装飾して弾いていた何よりの証拠になっているからである。…」 (Schonberg, Harold C., The Great Pianists -From Mozart to the Present- (1987, 1963), Simon & Schuster Paperbacks, edition 2006, p.343)

 冒頭に載せた動画こそ、ショーンバーグが絶賛したショパンの夜想曲の録音です。音色の美しさ、旋律の歌わせ方の優美さ、そして「異稿」の自然さ…どれをとっても第一級の藝術でしょう。もちろんコチャルスキの演奏であってショパン本人が弾いているのではないですが、僕はここに生きた伝統の存在を確かに感じます。硬直しひからびた形式主義(そう、パリサイ人のような…)ではなく、「その時その場で最高のものとな」っている瑞々しい実質です。そしてそれ故に、誰かが受け継がなくては絶えてしまう伝統の儚さにも想いを馳せてしまうのです。悲しむべきことにコチャルスキの死後、かれの演奏の本質を受け継ぐ洋琴家はいなくなってしまいました。先人の智慧や美意識の結晶を伝統と呼ぶならば、それを学び受け継ぎ、本質を現代にそぐう形で提示できる方を、僕は尊敬します。そのような職人さんのひとりが、Spigola代表の鈴木幸次さんです。下の写真は、かれに頼んでつくってもらった誂え靴です(納品時の写真)。

 鈴木幸次さんのアデレイド・パンチドキャップトゥ、"La Forqueray"。鳩目周りは象革です)

 このブログをご覧くださっている方は僕よりもずっと靴のことをご存知だと思いますので詳細については敢えて述べませんが、これを受け取った時、幸次さんの感性と技術の絶妙の釣り合いに息を呑みました。僕が頭で漠然と思い浮かべていた理想の靴を、ふたりで何度も相談を重ね、仮縫い三度を経て、僕の想像を超えるモノとしてかたちづくっていただけたこと、とてもありがたいことだと思っています。すべての要素に存在感がありながら、あるべき箇所におさまって、総体として幸次さん以外の誰にもつくれない靴に仕上がっている…まさに、コチャルスキのショパン演奏と同じく、生きた伝統の発露です。伝統に根ざしつつ決して押し付けがましくないかれらしさがあり、そのうえで僕という人間の個性を尊重した靴づくりをしてくれる職人さんが身近にいてくれることこそ、誂え(英語ではbespokeというそうです)の醍醐味ではないでしょうか。

 納品から八ヶ月が経ち、旅先などいろんなところに連れてゆきましたが、ますます快適な履き心地です。細部に至るまでとても美しい靴なので、最後にもうすこし写真を載せておきます。

(Spigolaならではの爪先からの立ち上がり)

鳩目周りの形状…なんだと思われますか?

 (フィドル・ウェストという絞りだそうです。Spigolaでは珍しい仕様かもしれません)

  (縫い目を内側にずらした踵…この形状にも意味が込められています

2012年10月11日木曜日

これぞパリの粋!アルニス讃 -アトリエ・タイ篇-

(誂えのスポーツ・コート、Alessandra Mandelliのライラック色タブカラー・シャツ、Arnysの「アトリエ・タイ」、Mungaiのコットン・ポケットスクエア)

革の香や舶載の書に秋晴るる 龍之介

 秋もすっかり深まり、それでいて日中の陽射しがまだきついこともあり、街を闊歩するひとびとの装いにも戸惑いと期待が入り混じっているようです。僕自身はといいますと、いまさら紺碧の海を思い起こさせるリネンジャケットを着ようという気にもならないので、寒暖差をかんがえつつ秋らしさを醸せる装いをあれこれ思案する、ということになります。

(今回届いた「アトリエ・タイ」と過去のコレクション・カタログたち)

 さて、 先月の半ばごろ、3月の受注会でお願いしていたArnysの"La Cravatte d'Atelier"(直訳すると「アトリエのネクタイ」)が届いたという連絡がはいったので、引き取りにいってきました。縞柄のタイは苦手なので殆ど持っていないのですが、個人的に一番Arnysらしい色の組み合わせのものを、と考えて注文したのが今回ご紹介するネクタイ(いや、昔風にクラヴァットと呼びましょうか)です。

(ダブルフェイスのシルク・ネップを折り畳んで仕立てられている)

 
(右のポルカ・ドットのものは一年ほど使用)

 紫と緑、と一口に言ってもいろいろある訳ですが、このクラヴァットほどパリらしい粋を感じさせてくれる色調はほかにないと思います。パリらしいだけでなく、何故か日本人の色彩感覚にも自然に受け入れられるのです。それに、癖が強そうな色の組み合わせのように思えて、案外どんな装いにもすんなりとけ込んでくれる…これは、単に色合いだけの問題ではなく、やはり生地そのものの質、その紡ぎ方、織り方、そして製法(つくっているのはイタリアのF社でしょうが)に依るところが大きいのではないでしょうか。シルク・レップ(畝織りの絹地)を六つ折にして縫っただけ、芯地もなし、というシンプル極まりない構造ながら、なぜかくも他のネクタイとは異なる(凝ったつくりのものは数多あるというのに!)、控えめではあるが強烈な個性と品格を醸し出せるのか…Arnysにしか使えないダブル・フェイスのシルク・レップそのものの質の高さに瞠目せざるを得ません。Tie Your Tieで誂えた七つ折のネクタイや伝説のハーバーダシャー(紳士用品店)A.Sulkaのヴィンテージ・タイ、Don FeFe、などいろいろなクラヴァットをみてきましたが、これほど「相棒」として身近におきたくなるものは初めてです。写真からもお分かりかもしれませんが、使い込むにつれ、生地の張りやかたさが取れ、とろけるようにしなやかで柔らかくなるのが不思議です。
 
(ツィードのカントリー・コートとともに)

 Arnysという稀有なメゾンが産み出すモノには、どれにも唯一無二の魅力が詰まっています(Berlutiに買収されたこれからは未知数ですが)。けれども重衣糧という範疇で言うならば、たとえばオーセンティックなスーツよりもオフの日に着るスポーツ・コートに、その輝きを見いだしやすい。同じようなデザインや仕立てを他のメゾンが真似をしても、雰囲気や洗練具合がどこか違うのです。素材使いの特異ともいえる贅沢さも、抗いがたい魅力のひとつとして挙げなくてはなりません。たとえば上の写真のカントリー・コートなどは、繊細なシルクのキルティングとカシミヤ・ウールの裏地がツートンで間断なく張られ、表地につかわれている微妙な風合いのツィードと、よき好対照をなしています。釦ひとつ、裏地ひと張りにまで、メゾンの培ってきた伝統にもとづく矜持と美学をゆきわたらせることは、並大抵のことではない筈です。Berlutiによる買収騒ぎのことはよくわかりませんが、先人に倣い伝統を大切にする姿勢だけは貫いていただきたいものです。
 
 「右岸のHermès、左岸のArnys」とはよく知られたことばですが、僕の考えでは、Arnysのインテリジェンス溢れる遊び心とセンスはHermèsには見受けられないものです。もちろんHermèsの隙のないモノ作りの姿勢も僕は大好きです、しかしArnysの伝統の「特異さ」にもっと親しみを感じます。それはそのまま、右岸と左岸の街や暮らすひとびとの気質の差でもある、といえば、穿ち過ぎでしょうか…

(Arnysの「アトリエ・タイ」、Aubercyのギリーふうプレーントゥ・シューズ、Lindbergのアセタニウム)

  この写真は、この秋冬の装いのイメージです。Aubercyもパリが誇る素晴らしい靴屋のひとつですが、このギリーふうプレーントゥは七年ほどまえ、京都伊勢丹のアリストクラティコというお店で購いました。フレンチ・ラストを使った細身でエレガントな佇まいは、誂えの靴の良さを知ったいま見ても、美しいと思います。もともとは靴ひもの先に革タッセルがついていて、これまた粋でした。偶然ですがこの靴も、アッパーが深緑のシボ革で、ライニングが深紫です。おまけのように乗っけたアイウェアは、Lindbergというデンマークのアイウェアメーカーのものです。アセテートとチタンを組み合わせたモデルで、もはや僕の顔の一部となるほど馴染んでいます。鼈甲と深緑、深紫、案外落ち着いた、おもしろい組み合わせになりました。

 日本が誇る革小物司である岡本拓也さんの象革iPhone5カヴァーや、ジェノヴァの誂えシャツ屋Finolloのクラヴァット、ローマ教皇とアカデミー・フランセーズのホーザリィなど、ご紹介したいものはまだまだたくさんあるのですが、今回はこのあたりで…