2014年1月4日土曜日

謹賀新年

 元旦の歯をていねいにみがきけり 草城




 "triplo ritorto"を応援してくださっている皆さまがより佳き一年を過ごされますことを、こころより祈念しております。
 
 今後ともご愛顧またご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い致します。

 平成二十六年甲午 三が日明けに

 Y. J. K

2013年12月12日木曜日

昭和歌謡の小径と憧憬 序;バブル、それは忘れかけてた渚のDeja-vu


 硝子のレプリカント/早瀬優香子('86)

 ことばとは不思議なもので、万巻の書をもってしても表現しつくせないこともあれば、たった一つのことばにすべての込めたい意味が結晶することだってあります。古の詩人から現代のシンガーソングライターに至るまで、自分だけの「結晶」をおいもとめる姿勢はそんなに変わるところがない。

(このような突き抜けた感性も民族的「結晶」とよべるでしょうか)

それでも、現代からは喪われた言語感覚はたしかにあると思います。いまを生きる僕たちは、プレイヤード派の詩人たちがのこした詩作からなにものかを受け取ることはできても、かれらがソネやオードにほどこした過剰なまでの装飾に違和感(という名の関心)を感じずにはおれません。こうした違和感(関心)は、なにも16世紀フランスという時空を隔てた文化を眺めずとも、たとえばバブル期日本の流行を振り返っても抱くことができます。

 最近の女性の装いでも、「朱い口紅(赤いルージュみたいで可笑しな表現ですね)」のようなバブル期を髣髴させる要素を取り入れるのが流行しているといいます。地面と殆ど水平をなす肩線やニットにも入れた肩パット、明らかにゆとりがあり過ぎ、縫い合わせ線のきわめて低いダブルブレステッドのジャケット、幅広で極彩色のプリントタイ、「ボディコン」、「ワンレングス・ボブ」…30年ほどの時を経たいま、俯瞰でそれらを眺めてみると、奇異な印象だけではなく、いまにも共通している「何か」を感じます。

(泉麻人著『街のオキテ』、単行本初版は1986年12月)

 この「昭和歌謡の小径と憧憬」では、いまの音楽にはない抗し難い魅力を持った昭和の歌謡曲(厳密な意味での歌謡曲以外もふくむ)を皆さんと聴き直してみたいと考えています。序である今回は、最近僕の頭をぐるぐる回り続けている一曲、早瀬優香子の『硝子のレプリカント』(1986年4月25日発売)を取り上げます。作曲が井上大輔、作詞に泉麻人、編曲が西平彰、しかもポカリスエットCF曲…まさに「ザ・バブル」の申し子といってよいのではないでしょうか。

 『硝子のレプリカント』を知ったのは、安藤裕子が様々な唄い手の曲をカバーしそれをまとめたアルバム「大人のまじめなカバーシリーズ」を聴いたことがきっかけでした(とても良いカバー・コンピレーションとして強力にお勧めできる一枚です)。安藤裕子のカバーアルバムにおさめられているのは『セシルはセシル』のほうですが、(シングル盤発売当時の)A面にあたるこの曲も、作詞を秋元康が担当したという「いかにも!」と叫びたくなる佳曲なのです。

(ミレーユ・ダルクとアラン・ドロン)

 『セシルはセシル』はギターの乾いたカッティングと打ち込みのリズムパターンが「いかにも」80年代半ばでダサかっこ良く、また「よくあるパターンの ミレーユ・ダルクね」という歌詞にもクリビツテンギョーしましたけど、『硝子のレプリカント』はそれを上回る衝撃を僕に与えてくれました。

  早瀬優香子はもともと子役出身の女優で(「俺はあばれはっちゃく」の初代ヒロインとしてテレビに初登場)シンガーソングライターではないので、『硝子のレプリカント』に彼女のもつ言語世界が反映されているという訳ではないのです。それでも、ふわふわとした独特のささやくような唄い方はフレンチ・ポップスを過剰に意識した曲調とみごとに合致し、彼女にしか表現できない「物憂げ」で「人工的」なバブリィさとして結実しています。

 (1986年のポカリスエットCF、出演はソフィ・ドゥエス)

 『硝子のレプリカント』の歌詞をたどると、徹頭徹尾、人工的・バブル的隠喩によって満たされていることがわかります。ちょっと列挙してみましょう…シンメタリック・プリンセス、硝子のレプリカント、真昼のテンプティション、忘れかけてた渚のDeja-vu、スパター模様、イリュージョン…キリがありません。要するに、用いられている表現すべてが「ああ、バブル!」なのです。当時「ナウでヤング」だった要素、「イケてる」とされていた事象が、日本語なのかフランス語なのか判別できない早瀬の「物憂げな」歌唱によって結晶した曲、それが『硝子のレプリカント』だと僕は思います。そういえば1982年公開の映画『ブレードランナー』のレプリカントも、人間そっくりな「人工的」存在でした。
 

(『ブレードランナー』のレプリカントの一人、プリス)

 今回は序ということですこし長く書きましたが、今後の「昭和歌謡の小径と憧憬」は楽曲紹介とかんたんな感想を書くにとどめようと考えています。文化論のような評論が目的ではありませんし、なにより音楽をたのしんでいただくことを優先したいと思うからです。

2013年12月10日火曜日

もぐらとひつじとやぎの季節 -其の壱、もぐら篇-

風邪癒えぬ身の盛装を凝らしたり 誓子


(上衣はARNYSのショートジャケット&ロングベスト、シャツはAlessandra Mandelliの誂え、ポケットスクエアはARNYS、アスコットはARNYSのヴィンテージ・シルク)

 皆さま、すっかりご無沙汰しております。前回更新してからはや一年以上が経ってしまいました。一度更新が滞ってしまうと加速度的におっくうさが増すようで、元来ぐうたらな性格の僕はそれにまんまとはまり込んだというわけです。こんな僕に、もっと読みたいからしっかり書いてくれ、と叱咤激励してくださったすべての方に感謝申し上げます。

 さて昨今めっきり冷え込んできましたが、こんなときこそ身も心もあたたかくなるような素材で仕立てられたものを纏いたいですね。「もぐらとひつじとやぎの季節」という三回ものの連載の題名は、それぞれの動物にまつわる織物をイメージしてつけました。第一弾である今回の題材は、「もぐら」すなわちモールスキン(のような生地)で仕立てられたARNYS製ショートジャケット&ロングベストです。C商会がARNYSを扱っていたころのものですから、今から20年ほど前の服ということになりましょうか。右身頃が前になっているので女性用かも知れませんが、サイズ・素材表記もないため、どのような経緯でつくられたのかさえ判然としません。誂えたように僕の身体にフィットしてくれるので、そうした瑣末事はさておき、いま一番気に入っている上衣…


   モールスキンと一口にいっても様々な質感や触感をもったものがあるといいます。もぐらの毛皮のような触り心地だから、とか、炭坑夫たちの着ていた服の素材だったから、とか語源についても諸説あるそうです。僕は素材について無知なのでこれがモールスキンなのかどうか確証がもてないのですが、ベルベットやベロアではなかろう、ということで(題名ありきということで)ご紹介することにしました。

 それにしてもモールスキンにはどこか野暮ったく垢抜けない部分、裏を返せば素朴な野趣の魅力があるようです。綿織物であること、出自が野良着という耐久性・保温性を求められる衣服用素材でありながら、ふっくらとした柔らかさ、身体の動きへのしなやかな追随性を兼ね備えていること、が身に纏ったときにどっしりとした安心を感じさせてくれます。こいつなら、雨や雪が降ってきても、冷たい風がふいてきても、僕の身体をまもってくれる…そんな気にさせてくれるのです。服というより相棒と呼びたくなる。


   このARNYSのショートジャケット&ロングベスト、裏地には当たり前のようにシルク(この黄金…いや稲穂色も豊かな色です)を全面にあしらい、橄欖緑色とも海松色とも呼べそうなモールスキンの表地との美事な対比をなしています。裁断やデザインもさることながら、僕がいつもARNYSの品に惹かれるのは、この素材と色の「妙なる不調和」のためです。他のメゾンではまずやらない(出来ない)ような組み合わせを平然とやってのけ、しかもそれが品格と伝統の重みを兼ね備えた斬新な品として結実しているのをみるにつけ、「粋」とか「艶」といったことばだけでは収まりきらない、「婆娑羅」とでもいうしかない先進性を感じるのです。
  

 そもそも、ジャケットを短く、ベストを長くして、それらを普通とは逆の順序で重ねて着る、という発想は誰が思いついたのでしょう。しかも共に襟なし…常軌を逸した服です。この服をご覧になって、「変わったところに切り返しのあるジャケットですね」とおっしゃる方に、僕は「よくご覧になってください、不思議な服ですよ…」と笑いながらこたえます。すると、暫く注視されたのち「ああ!」と驚きの声をあげられる、そんな方が殆どなのです。

 そうしたやりとりが新たな縁をうむこともあるのですから、この不思議な服には全く感謝せねばなりません。しかしよく考えてみると、18世紀後半くらいまではベスト(英語ではダブレット、フランス語ではプールポワンと呼ぶそうです)に袖があった記録がのこっていますから、その過渡期のふたつの「ダブレット」を重ねてショートジャケットとロングベスト(に見えるよう)に仕立てた、とも考えられる。とすれば、この服は洋服の歴史と伝統を踏まえつつ、現代的に再構築された「ネオ・ダブレット」とも解釈できそうです。

(1770年の袖ありベスト)

(1790年の袖なしベスト)

 憶測や妄想も交えつつ長々と書いてきましたが、要するに僕はこの服にぞっこんだということです。襟なしということもあり合わせるものを撰びそうですが、タートルネックのニットにストール、ボウタイにシャツ、もちろん普通にタイドアップしてもしっくりくる、実に懐の深い「もぐら」くんといえましょう。

 最後に冒頭の写真の全体像を…靴はAubercyのギリーふうプレーントゥですが、このデニム、なんと10年以上前に買ったイタリア製ジャン・ポール・ゴルチエなのです。全く相関関係のなさそうなメゾンのものを組み合わせて着たい、わがままな僕に寄り添ってくれるこの服には(パートナー同様)墓場までご一緒願うほかなさそうです。

 次回は「ひつじ」篇、ウール生地で出来た真冬に活躍する頼もしい「ヴェネツィア貴族」をご紹介したいと思います。それでは…

2012年11月5日月曜日

岡本拓也さんの象革iPhone5ケース -ほんとうの優しさと勁さ-

(革小物司・岡本拓也さんの手になるT・MBHネームのiPhone5ケース、使用前です)

 (ひと月あまり毎日使用した後、隆起している部分が輝くようになってきました)
 
 あおぞらのきれい過たる夜寒哉 一茶

 朝晩だけでなく、日中吹きわたる風さえも冷たく感じる季節になりました。先日大和郡山にゆく機会に恵まれ、半日程度ですが山あいの澄んだ空気を堪能できたのは僥倖でした。都市生活をしていると鈍りがちな五感が、山の気に触れて蘇ったような感じもします。ツィードやカシミヤ、ペッカリーなどの素材の質感がそろそろ愛おしく感じられる頃です。

 さて、iPhone5を使い始めてひと月あまりが経ちました。数年間酷使したiPhone3GSからの乗り換えだったので、反応の早さや画面の精細さには驚かされどおしです。3GSの曲面をうまくつかった形状も手に馴染みやすくて気に入っていたのですが、繊細な面取りが際立つ5はより締まり、また黒という色とあいまって男性的な印象です。ただ、本体を保護し手にしっくりくる、使い込むごとに表情を変えて共に育ってゆけるようなケースがあるともっといいだろうな、と思っていたところ、革小物司の岡本拓也さんがT・MBHという銘柄でiPhone5専用ケースをおつくりになったと知りました。以前岡本さんが監修されていたMAISON TAKUYA(数年前から岡本さんとは全くの無関係だそうです)の3GSケースがとてもよい仕立てだったので愛用していたこともあり、5のケースも是非かれににお願いしたいと考え、蔵前にある工房までお邪魔してきました。

  (岡本さんの工房でみせていただいた象革。この部分で仕立てていただきました)

 マンションの一室にある工房は、とても清潔で明るい場所でした。厳選された最高級の革はそれ自体眺めているだけで心躍るものですが、すべて手作業で仕立てられ、立体的かつ有機的な色気をもった岡本さんの「革小物」の数々を見せていただいていると、やはり作り手の美意識、細部に至るまでの心尽くしが出来上がったモノに宿ってこそ、注文したひとが愛着をもって使い続けられるのだとわかりました。岡本さんとお話をしているととても愉しく、時間が経つのがあっという間でした。かれの発想の豊かさ、それを革小物という実体に形作ることのできる技術の凄さ、そして繊細な美意識、優しさ…すべてが融合して独特の空気感をもった逸品ができるのです。岡本さんはどなたかに師事したことがある訳ではなく独立独歩の方ですし、塾講師を長年されていた経験もある、ある意味で異色の職人さんですが、だからこそ可能になっている領域が非常に多いと感じました。

(相談が終わり、イメージ画を描く岡本拓也さん)

 iPhone5ケースの素材ははじめから象革でお願いするつもりだったので、サンプルも含めいろいろと見せていただきました。硬質なものではなく、象革独特のふっくらした触感が欲しいとお伝えすると、コバ周り以外はあえて厚めに仕立てることによってそれが実現できるとのことで、部位だけ指定しあとはお任せすることにしました。

(一分の隙もなく磨き上げられたコバ。美しいですね)
 
 なぜ象革でお願いしようと思ったか、それはその性質が非常に堅牢でありながら柔らかいということもありますが、なにより「優しい」素材だからです。いわゆる「エキゾティック・レザー」と言われている素材の殆どすべては、人間が鰐なり蜥蜴なりの命を奪うことによってはじめてできる訳ですが、象革は(全うな流通を経ていることが原則とはいえ)そうではないという話を伺ったことがあります。つまり、不慮の事故や老衰、病気などで自然に命を失った象の皮だけを採取し鞣してよいということになっている。人間の自己中心的な欲求を満たすというより、自然の恵みを最後まで利用「させていただく」謙虚さが感じられるのです。
 
 もともと個体数が多くないうえ、採取できる皮の膨大さに比して使える部分が意外と少ないこともあって、 古来より象革は珍重されてきたそうです。ビーズのような隆起と皺の織りなす独特の質感は、たしかにどこか貴族的な印象があります。ざらざらしているのかと思いきや、触れてみるとよいペルシャ絨毯のような柔らかさと滑らかさがあり、唯一無二の素材だと思います。今回岡本さんにお願いした象革が、もともと象の体のどの部分なのかはわかりませんが、撫でていると何故か優しさを感じるのが不思議です。水や汚れだけでなく熱にも大変強いといいます。

(使用前の表面。分かりづらいですが、T・MBHの刻印が入っています)
 
(使用後。色が濃くなってきているのがわかります)

 岡本拓也さんという日本が誇る革小物司(この肩書きにも、凛とした矜持を感じます)と、象革という稀有な優しさと勁さを兼ね備えた素材…レイモンド・チャンドラーが、自身のうみだした私立探偵フィリップ・マーロウに『プレイバック』の中で"If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive."といわせていることを想いだしました。愛を持って他者に優しく接することと、気高く勁いことが不即不離であるのがよくわかる名文句だと思いますが、職人さんの魂がこもった革小物からはこんなことも考えさせられました。自分は果たしてこの象革ケースにふさわしい人間になれるだろうか…と。

 最後に、日本が誇る素晴らしい歌い手さんである畠山美由紀さんの歌唱からも、おなじ優しさと勁さを感じますので、Youtubeから引用してきました。


 

2012年10月23日火曜日

コチャルスキのショパン演奏とSpigolaの誂え靴 -生きた伝統の継承-

秋雨の子を遊ばする蓄音機 かな女

(ポーランドの名洋琴家、コチャルスキによるショパンの夜想曲変ホ短調)

 このところ、秋雨がよく降っています。雨のせいか肌寒さもひとしおで、人肌恋しい季節になったことを実感しています。同級生夫婦のカフェでレコードを聴かせてもらったことがきっかけで、大滝詠一さんや山下達郎さんの音楽を毎日のように愉しんでいましたが、ある雨降りの夜にふと想いだしてラオル・フォン・コチャルスキ(1885-1948)というポーランドの洋琴家のふるい録音を引っ張りだしてきました。コチャルスキはショパンの弟子であったカロル・ミクリ(1819-1897)の薫陶を受けたひとなので、ショパン直伝の洋琴演奏を自家薬籠中の物にしていた最後のひとりといえます。ミハウォフスキやローゼンタール同様当時でも伝説的な存在だった訳ですが、1948年まで存命であったため、幸いなことによい録音をたくさん遺してくれました(その割に知名度は低いのが気がかりです)。ベートーヴェンやリストの演奏も素晴らしいですが、なんといってもショパンの孫弟子、ショパン解釈にかけては他のどの洋琴家とも異なる世界を展開しています。

 音楽評論家ハロルド・C・ショーンバーグ(1915-2003)は著書"The Great Pianists -From Mozart to the Present-"(1963)のなかで、古今の名洋琴家の逸話を愛情たっぷりに語っています。コチャルスキについての言及は第二十四章の一段落に過ぎませんが、かれの神童っぷりが短くまとめられており、また邦訳が絶版になっていますので、僕の拙い訳でご紹介したいと思います。

 「…ラオル・フォン・コチャルスキもまた、相当な注目をあつめたポーランドの洋琴家だった。あらゆる洋琴家は神童として出発するものだが、フォン・コチャルスキはその血筋からしてすでに別格であった。かれは四歳にしてデビューを飾り(訳者注、正しくは三歳)、七歳で演奏旅行をしてまわり、まだ子供であるのにペルシャ王室の宮廷洋琴家となったのである。九歳までに作曲した作品は四十六を数え、十一歳のときには公開演奏一千回を達成した。数多あるフォン・コチャルスキの録音のなかでも、ショパンのよく知られた夜想曲変ホ短調(作品番号九の二)を『正統な異稿』つきで弾いたものは、魅力に満ちている。かれの手にかかると、この夜想曲から次から次へと華が咲きだすのである。おそらくこれらの異稿は、フォン・コチャルスキの同郷人にしてショパンの弟子であったカロル・ミクリから伝えられたものであろう。もしこれらの異稿が真にショパンから伝えられたものであるなら、この録音はとても価値のある歴史的記録といえる。なぜならば、この録音こそ、ショパンがいつも自分が書いた通りに自作を演奏せず、作品がその時その場で最高のものとなるよう装飾して弾いていた何よりの証拠になっているからである。…」 (Schonberg, Harold C., The Great Pianists -From Mozart to the Present- (1987, 1963), Simon & Schuster Paperbacks, edition 2006, p.343)

 冒頭に載せた動画こそ、ショーンバーグが絶賛したショパンの夜想曲の録音です。音色の美しさ、旋律の歌わせ方の優美さ、そして「異稿」の自然さ…どれをとっても第一級の藝術でしょう。もちろんコチャルスキの演奏であってショパン本人が弾いているのではないですが、僕はここに生きた伝統の存在を確かに感じます。硬直しひからびた形式主義(そう、パリサイ人のような…)ではなく、「その時その場で最高のものとな」っている瑞々しい実質です。そしてそれ故に、誰かが受け継がなくては絶えてしまう伝統の儚さにも想いを馳せてしまうのです。悲しむべきことにコチャルスキの死後、かれの演奏の本質を受け継ぐ洋琴家はいなくなってしまいました。先人の智慧や美意識の結晶を伝統と呼ぶならば、それを学び受け継ぎ、本質を現代にそぐう形で提示できる方を、僕は尊敬します。そのような職人さんのひとりが、Spigola代表の鈴木幸次さんです。下の写真は、かれに頼んでつくってもらった誂え靴です(納品時の写真)。

 (鈴木幸次さん作のアデレイド・パンチドキャップトゥ、"La Forqueray"。鳩目周りは象革です)

 このブログをご覧くださっている方は僕よりもずっと靴のことをご存知だと思いますので詳細については敢えて述べませんが、これを受け取った時、幸次さんの感性と技術の絶妙の釣り合いに息を呑みました。僕が頭で漠然と思い浮かべていた理想の靴を、ふたりで何度も相談を重ね、仮縫い三度を経て、僕の想像を超えるモノとしてかたちづくっていただけたこと、とてもありがたいことだと思っています。すべての要素に存在感がありながら、あるべき箇所におさまって、総体として幸次さん以外の誰にもつくれない靴に仕上がっている…まさに、コチャルスキのショパン演奏と同じく、生きた伝統の発露です。伝統に根ざしつつ決して押し付けがましくないかれらしさがあり、そのうえで僕という人間の個性を尊重した靴づくりをしてくれる職人さんが身近にいてくれることこそ、誂え(英語ではbespokeというそうです)の醍醐味ではないでしょうか。

 納品から八ヶ月が経ち、旅先などいろんなところに連れてゆきましたが、ますます快適な履き心地です。細部に至るまでとても美しい靴なので、最後にもうすこし写真を載せておきます。

(Spigolaならではの爪先からの立ち上がり)

(鳩目周りの形状…なんだと思われますか?)

 (フィドル・ウェストという絞りだそうです。Spigolaでは珍しい仕様かもしれません)

  (縫い目を内側にずらした踵…この形状にも意味が込められています)

2012年10月11日木曜日

これぞパリの粋!アルニス讃 -アトリエ・タイ篇-

(誂えのスポーツ・コート、Alessandra Mandelliのライラック色タブカラー・シャツ、Arnysの「アトリエ・タイ」、Mungaiのコットン・ポケットスクエア)

革の香や舶載の書に秋晴るる 龍之介

 秋もすっかり深まり、それでいて日中の陽射しがまだきついこともあり、街を闊歩するひとびとの装いにも戸惑いと期待が入り混じっているようです。僕自身はといいますと、いまさら紺碧の海を思い起こさせるリネンジャケットを着ようという気にもならないので、寒暖差をかんがえつつ秋らしさを醸せる装いをあれこれ思案する、ということになります。

(今回届いた「アトリエ・タイ」と過去のコレクション・カタログたち)

 さて、 先月の半ばごろ、3月の受注会でお願いしていたArnysの"La Cravatte d'Atelier"(直訳すると「アトリエのネクタイ」)が届いたという連絡がはいったので、引き取りにいってきました。縞柄のタイは苦手なので殆ど持っていないのですが、個人的に一番Arnysらしい色の組み合わせのものを、と考えて注文したのが今回ご紹介するネクタイ(いや、昔風にクラヴァットと呼びましょうか)です。

(ダブルフェイスのシルク・ネップを折り畳んで仕立てられている)

 
(右のポルカ・ドットのものは一年ほど使用)

 紫と緑、と一口に言ってもいろいろある訳ですが、このクラヴァットほどパリらしい粋を感じさせてくれる色調はほかにないと思います。パリらしいだけでなく、何故か日本人の色彩感覚にも自然に受け入れられるのです。それに、癖が強そうな色の組み合わせのように思えて、案外どんな装いにもすんなりとけ込んでくれる…これは、単に色合いだけの問題ではなく、やはり生地そのものの質、その紡ぎ方、織り方、そして製法(つくっているのはイタリアのF社でしょうが)に依るところが大きいのではないでしょうか。シルク・レップ(畝織りの絹地)を六つ折にして縫っただけ、芯地もなし、というシンプル極まりない構造ながら、なぜかくも他のネクタイとは異なる(凝ったつくりのものは数多あるというのに!)、控えめではあるが強烈な個性と品格を醸し出せるのか…Arnysにしか使えないダブル・フェイスのシルク・レップそのものの質の高さに瞠目せざるを得ません。Tie Your Tieで誂えた七つ折のネクタイや伝説のハーバーダシャー(紳士用品店)A.Sulkaのヴィンテージ・タイ、Don FeFe、などいろいろなクラヴァットをみてきましたが、これほど「相棒」として身近におきたくなるものは初めてです。写真からもお分かりかもしれませんが、使い込むにつれ、生地の張りやかたさが取れ、とろけるようにしなやかで柔らかくなるのが不思議です。
 
(ツィードのカントリー・コートとともに)

 Arnysという稀有なメゾンが産み出すモノには、どれにも唯一無二の魅力が詰まっています(Berlutiに買収されたこれからは未知数ですが)。けれども重衣糧という範疇で言うならば、たとえばオーセンティックなスーツよりもオフの日に着るスポーツ・コートに、その輝きを見いだしやすい。同じようなデザインや仕立てを他のメゾンが真似をしても、雰囲気や洗練具合がどこか違うのです。素材使いの特異ともいえる贅沢さも、抗いがたい魅力のひとつとして挙げなくてはなりません。たとえば上の写真のカントリー・コートなどは、繊細なシルクのキルティングとカシミヤ・ウールの裏地がツートンで間断なく張られ、表地につかわれている微妙な風合いのツィードと、よき好対照をなしています。釦ひとつ、裏地ひと張りにまで、メゾンの培ってきた伝統にもとづく矜持と美学をゆきわたらせることは、並大抵のことではない筈です。Berlutiによる買収騒ぎのことはよくわかりませんが、先人に倣い伝統を大切にする姿勢だけは貫いていただきたいものです。
 
 「右岸のHermès、左岸のArnys」とはよく知られたことばですが、僕の考えでは、Arnysのインテリジェンス溢れる遊び心とセンスはHermèsには見受けられないものです。もちろんHermèsの隙のないモノ作りの姿勢も僕は大好きです、しかしArnysの伝統の「特異さ」にもっと親しみを感じます。それはそのまま、右岸と左岸の街や暮らすひとびとの気質の差でもある、といえば、穿ち過ぎでしょうか…

(Arnysの「アトリエ・タイ」、Aubercyのギリーふうプレーントゥ・シューズ、Lindbergのアセタニウム)

  この写真は、この秋冬の装いのイメージです。Aubercyもパリが誇る素晴らしい靴屋のひとつですが、このギリーふうプレーントゥは七年ほどまえ、京都伊勢丹のアリストクラティコというお店で購いました。フレンチ・ラストを使った細身でエレガントな佇まいは、誂えの靴の良さを知ったいま見ても、美しいと思います。もともとは靴ひもの先に革タッセルがついていて、これまた粋でした。偶然ですがこの靴も、アッパーが深緑のシボ革で、ライニングが深紫です。おまけのように乗っけたアイウェアは、Lindbergというデンマークのアイウェアメーカーのものです。アセテートとチタンを組み合わせたモデルで、もはや僕の顔の一部となるほど馴染んでいます。鼈甲と深緑、深紫、案外落ち着いた、おもしろい組み合わせになりました。

 日本が誇る革小物司である岡本拓也さんの象革iPhone5カヴァーや、ジェノヴァの誂えシャツ屋Finolloのクラヴァット、ローマ教皇とアカデミー・フランセーズのホーザリィなど、ご紹介したいものはまだまだたくさんあるのですが、今回はこのあたりで…

2012年9月20日木曜日

Django Atourのシルバー・スタッズ

はばかりてすがる十字架や夜半の秋 不器男

 月はじめからなにかと忙しく、ブログを更新できませんでした。今後は、週に一度(或いはそれ以上)は更新できるようにしたいと思いますので、引き続きご愛顧のほどをよろしくお願いいたします。

 さて、僕はある一日の装いを考えるとき、何かひとつのアイテムを軸とすることが多いです。それは靴だったりネクタイだったりシャツだったり、あるいは服飾小物だったりと様々ですが、不思議とスーツやジャケットなどのいわゆる「大物」から発想することはあまりありません。ひとの目に留まるか留まらないかという程度にしか見えないアイテムですが、そうした部分にこそ心を尽くしたい、という潜在意識の顕現なのかもしれません。

 今回紹介するのは、Facebookで年長の畏友のウォールをのぞいたときにふと出逢った、Django Atourの服飾小物です。「不易流行」「温故知新」ということばが実質としてすべての作品のなかに込められてい、しかも価格も控えめな設定にされており、とても魅力的なメーカーだと思います。重衣糧にこそDjango Atourの真髄はありそうですが、とにかく試しに、誂えのシャツのためのスターリング・シルバー製スタッズと、コットンリネン・クラバットを購めてみました。ベル・エポック期を彷彿させる文様が美しく、ベロアの巾着袋もいい雰囲気です。


 既製シャツのフィット感がどうも僕にはしっくりこないため、数年前からAlessandra Mandelliというミラノ近郊のシャツ職人さんにお任せすることにしています。これはミラノの著名仕立て屋Mario Pecoraか、その弟子の佐藤英明さんの仕立て屋ペコラ銀座でしか注文できないそうです。
 襟型や仕様には、かつて追いかけていたベル・エポック的な要素を入れ込んでお願いしているので、 他の方が注文されているシャツとはちょっと異なるものが多いかもしれません。佐藤さんと雑談しつつ生地を選び、あれこれアイディアを思案する時間もまた愉しいものです。


 届いたスタッズをダブル・ホール仕様の誂えシャツにつけてみると、こんな感じになりました。普通のタブ・カラーではなくなぜこのようにしたか、というと、作家のトム・ウルフがKabbaz-Kellyというシャツ屋に注文したものの印象が強かったからです(どのようなシャツだったのかについては、A Suitable Wardrobeの記事をご参照ください)。一旦着用しネクタイを結んでしまうと、自分以外の誰からも窺えないデティールですが、誂えの愉しみはやはりこのような「めにはさやかにみえねども」という部分にあるのではないかと考えています。
 
 先日届いたArnysの"La Cravatte d'Atelier"(アトリエ・タイ)が素晴らしい雰囲気だったので、それを次回は紹介したいです。

 少しずつ秋風が吹き渡るようになってきた夜には、Barry Manilowのヴァージョンの『素直になれなくて』が沁みます…