2012年11月5日月曜日

岡本拓也さんの象革iPhone5ケース -ほんとうの優しさと勁さ-

革小物司・岡本拓也さんの手になるT・MBHネームのiPhone5ケース、使用前です

 (ひと月あまり毎日使用した後、隆起している部分が輝くようになってきました
 
 あおぞらのきれい過たる夜寒哉 一茶

 朝晩だけでなく、日中吹きわたる風さえも冷たく感じる季節になりました。先日大和郡山にゆく機会に恵まれ、半日程度ですが山あいの澄んだ空気を堪能できたのは僥倖でした。都市生活をしていると鈍りがちな五感が、山の気に触れて蘇ったような感じもします。ツィードやカシミヤ、ペッカリーなどの素材の質感がそろそろ愛おしく感じられる頃です。

 さて、iPhone5を使い始めてひと月あまりが経ちました。数年間酷使したiPhone3GSからの乗り換えだったので、反応の早さや画面の精細さには驚かされどおしです。3GSの曲面をうまくつかった形状も手に馴染みやすくて気に入っていたのですが、繊細な面取りが際立つ5はより締まり、また黒という色とあいまって男性的な印象です。ただ、本体を保護し手にしっくりくる、使い込むごとに表情を変えて共に育ってゆけるようなケースがあるともっといいだろうな、と思っていたところ、革小物司の岡本拓也さんがT・MBHという銘柄でiPhone5専用ケースをおつくりになったと知りました。以前岡本さんが監修されていたMAISON TAKUYA(数年前から岡本さんとは全くの無関係だそうです)の3GSケースがとてもよい仕立てだったので愛用していたこともあり、5のケースも是非かれににお願いしたいと考え、蔵前にある工房までお邪魔してきました。

  (岡本さんの工房でみせていただいた象革この部分で仕立てていただきました

 マンションの一室にある工房は、とても清潔で明るい場所でした。厳選された最高級の革はそれ自体眺めているだけで心躍るものですが、すべて手作業で仕立てられ、立体的かつ有機的な色気をもった岡本さんの「革小物」の数々を見せていただいていると、やはり作り手の美意識、細部に至るまでの心尽くしが出来上がったモノに宿ってこそ、注文したひとが愛着をもって使い続けられるのだとわかりました。岡本さんとお話をしているととても愉しく、時間が経つのがあっという間でした。かれの発想の豊かさ、それを革小物という実体に形作ることのできる技術の凄さ、そして繊細な美意識、優しさ…すべてが融合して独特の空気感をもった逸品ができるのです。岡本さんはどなたかに師事したことがある訳ではなく独立独歩の方ですし、塾講師を長年されていた経験もある、ある意味で異色の職人さんですが、だからこそ可能になっている領域が非常に多いと感じました。

(相談が終わり、イメージ画を描く岡本拓也さん)

 iPhone5ケースの素材ははじめから象革でお願いするつもりだったので、サンプルも含めいろいろと見せていただきました。硬質なものではなく、象革独特のふっくらした触感が欲しいとお伝えすると、コバ周り以外はあえて厚めに仕立てることによってそれが実現できるとのことで、部位だけ指定しあとはお任せすることにしました。

(一分の隙もなく磨き上げられたコバ。美しいですね)
 
 なぜ象革でお願いしようと思ったか、それはその性質が非常に堅牢でありながら柔らかいということもありますが、なにより「優しい」素材だからです。いわゆる「エキゾティック・レザー」と言われている素材の殆どすべては、人間が鰐なり蜥蜴なりの命を奪うことによってはじめてできる訳ですが、象革は(全うな流通を経ていることが原則とはいえ)そうではないという話を伺ったことがあります。つまり、不慮の事故や老衰、病気などで自然に命を失った象の皮だけを採取し鞣してよいということになっている。人間の自己中心的な欲求を満たすというより、自然の恵みを最後まで利用「させていただく」謙虚さが感じられるのです。
 
 もともと個体数が多くないうえ、採取できる皮の膨大さに比して使える部分が意外と少ないこともあって、 古来より象革は珍重されてきたそうです。ビーズのような隆起と皺の織りなす独特の質感は、たしかにどこか貴族的な印象があります。ざらざらしているのかと思いきや、触れてみるとよいペルシャ絨毯のような柔らかさと滑らかさがあり、唯一無二の素材だと思います。今回岡本さんにお願いした象革が、もともと象の体のどの部分なのかはわかりませんが、撫でていると何故か優しさを感じるのが不思議です。水や汚れだけでなく熱にも大変強いといいます。

(使用前の表面。分かりづらいですが、T・MBHの刻印が入っています
 
使用後。色が濃くなってきているのがわかります

 岡本拓也さんという日本が誇る革小物司(この肩書きにも、凛とした矜持を感じます)と、象革という稀有な優しさと勁さを兼ね備えた素材…レイモンド・チャンドラーが、自身のうみだした私立探偵フィリップ・マーロウに『プレイバック』の中で"If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive."といわせていることを想いだしました。愛を持って他者に優しく接することと、気高く勁いことが不即不離であるのがよくわかる名文句だと思いますが、職人さんの魂がこもった革小物からはこんなことも考えさせられました。自分は果たしてこの象革ケースにふさわしい人間になれるだろうか…と。

 最後に、日本が誇る素晴らしい歌い手さんである畠山美由紀さんの歌唱からも、おなじ優しさと勁さを感じますので、Youtubeから引用してきました。


 

2012年10月23日火曜日

コチャルスキのショパン演奏とSpigolaの誂え靴 -生きた伝統の継承-

秋雨の子を遊ばする蓄音機 かな女

(ポーランドの名洋琴家、コチャルスキによるショパンの夜想曲変ホ短調

 このところ、秋雨がよく降っています。雨のせいか肌寒さもひとしおで、人肌恋しい季節になったことを実感しています。同級生夫婦のカフェでレコードを聴かせてもらったことがきっかけで、大滝詠一さんや山下達郎さんの音楽を毎日のように愉しんでいましたが、ある雨降りの夜にふと想いだしてラオル・フォン・コチャルスキ(1885-1948)というポーランドの洋琴家のふるい録音を引っ張りだしてきました。コチャルスキはショパンの弟子であったカロル・ミクリ(1819-1897)の薫陶を受けたひとなので、ショパン直伝の洋琴演奏を自家薬籠中の物にしていた最後のひとりといえます。ミハウォフスキやローゼンタール同様当時でも伝説的な存在だった訳ですが、1948年まで存命であったため、幸いなことによい録音をたくさん遺してくれました(その割に知名度は低いのが気がかりです)。ベートーヴェンやリストの演奏も素晴らしいですが、なんといってもショパンの孫弟子、ショパン解釈にかけては他のどの洋琴家とも異なる世界を展開しています。

 音楽評論家ハロルド・C・ショーンバーグ(1915-2003)は著書"The Great Pianists -From Mozart to the Present-"(1963)のなかで、古今の名洋琴家の逸話を愛情たっぷりに語っています。コチャルスキについての言及は第二十四章の一段落に過ぎませんが、かれの神童っぷりが短くまとめられており、また邦訳が絶版になっていますので、僕の拙い訳でご紹介したいと思います。

 「…ラオル・フォン・コチャルスキもまた、相当な注目をあつめたポーランドの洋琴家だった。あらゆる洋琴家は神童として出発するものだが、フォン・コチャルスキはその血筋からしてすでに別格であった。かれは四歳にしてデビューを飾り(訳者注、正しくは三歳)、七歳で演奏旅行をしてまわり、まだ子供であるのにペルシャ王室の宮廷洋琴家となったのである。九歳までに作曲した作品は四十六を数え、十一歳のときには公開演奏一千回を達成した。数多あるフォン・コチャルスキの録音のなかでも、ショパンのよく知られた夜想曲変ホ短調(作品番号九の二)を『正統な異稿』つきで弾いたものは、魅力に満ちている。かれの手にかかると、この夜想曲から次から次へと華が咲きだすのである。おそらくこれらの異稿は、フォン・コチャルスキの同郷人にしてショパンの弟子であったカロル・ミクリから伝えられたものであろう。もしこれらの異稿が真にショパンから伝えられたものであるなら、この録音はとても価値のある歴史的記録といえる。なぜならば、この録音こそ、ショパンがいつも自分が書いた通りに自作を演奏せず、作品がその時その場で最高のものとなるよう装飾して弾いていた何よりの証拠になっているからである。…」 (Schonberg, Harold C., The Great Pianists -From Mozart to the Present- (1987, 1963), Simon & Schuster Paperbacks, edition 2006, p.343)

 冒頭に載せた動画こそ、ショーンバーグが絶賛したショパンの夜想曲の録音です。音色の美しさ、旋律の歌わせ方の優美さ、そして「異稿」の自然さ…どれをとっても第一級の藝術でしょう。もちろんコチャルスキの演奏であってショパン本人が弾いているのではないですが、僕はここに生きた伝統の存在を確かに感じます。硬直しひからびた形式主義(そう、パリサイ人のような…)ではなく、「その時その場で最高のものとな」っている瑞々しい実質です。そしてそれ故に、誰かが受け継がなくては絶えてしまう伝統の儚さにも想いを馳せてしまうのです。悲しむべきことにコチャルスキの死後、かれの演奏の本質を受け継ぐ洋琴家はいなくなってしまいました。先人の智慧や美意識の結晶を伝統と呼ぶならば、それを学び受け継ぎ、本質を現代にそぐう形で提示できる方を、僕は尊敬します。そのような職人さんのひとりが、Spigola代表の鈴木幸次さんです。下の写真は、かれに頼んでつくってもらった誂え靴です(納品時の写真)。

 鈴木幸次さんのアデレイド・パンチドキャップトゥ、"La Forqueray"。鳩目周りは象革です)

 このブログをご覧くださっている方は僕よりもずっと靴のことをご存知だと思いますので詳細については敢えて述べませんが、これを受け取った時、幸次さんの感性と技術の絶妙の釣り合いに息を呑みました。僕が頭で漠然と思い浮かべていた理想の靴を、ふたりで何度も相談を重ね、仮縫い三度を経て、僕の想像を超えるモノとしてかたちづくっていただけたこと、とてもありがたいことだと思っています。すべての要素に存在感がありながら、あるべき箇所におさまって、総体として幸次さん以外の誰にもつくれない靴に仕上がっている…まさに、コチャルスキのショパン演奏と同じく、生きた伝統の発露です。伝統に根ざしつつ決して押し付けがましくないかれらしさがあり、そのうえで僕という人間の個性を尊重した靴づくりをしてくれる職人さんが身近にいてくれることこそ、誂え(英語ではbespokeというそうです)の醍醐味ではないでしょうか。

 納品から八ヶ月が経ち、旅先などいろんなところに連れてゆきましたが、ますます快適な履き心地です。細部に至るまでとても美しい靴なので、最後にもうすこし写真を載せておきます。

(Spigolaならではの爪先からの立ち上がり)

鳩目周りの形状…なんだと思われますか?

 (フィドル・ウェストという絞りだそうです。Spigolaでは珍しい仕様かもしれません)

  (縫い目を内側にずらした踵…この形状にも意味が込められています

2012年10月11日木曜日

これぞパリの粋!アルニス讃 -アトリエ・タイ篇-

(誂えのスポーツ・コート、Alessandra Mandelliのライラック色タブカラー・シャツ、Arnysの「アトリエ・タイ」、Mungaiのコットン・ポケットスクエア)

革の香や舶載の書に秋晴るる 龍之介

 秋もすっかり深まり、それでいて日中の陽射しがまだきついこともあり、街を闊歩するひとびとの装いにも戸惑いと期待が入り混じっているようです。僕自身はといいますと、いまさら紺碧の海を思い起こさせるリネンジャケットを着ようという気にもならないので、寒暖差をかんがえつつ秋らしさを醸せる装いをあれこれ思案する、ということになります。

(今回届いた「アトリエ・タイ」と過去のコレクション・カタログたち)

 さて、 先月の半ばごろ、3月の受注会でお願いしていたArnysの"La Cravatte d'Atelier"(直訳すると「アトリエのネクタイ」)が届いたという連絡がはいったので、引き取りにいってきました。縞柄のタイは苦手なので殆ど持っていないのですが、個人的に一番Arnysらしい色の組み合わせのものを、と考えて注文したのが今回ご紹介するネクタイ(いや、昔風にクラヴァットと呼びましょうか)です。

(ダブルフェイスのシルク・ネップを折り畳んで仕立てられている)

 
(右のポルカ・ドットのものは一年ほど使用)

 紫と緑、と一口に言ってもいろいろある訳ですが、このクラヴァットほどパリらしい粋を感じさせてくれる色調はほかにないと思います。パリらしいだけでなく、何故か日本人の色彩感覚にも自然に受け入れられるのです。それに、癖が強そうな色の組み合わせのように思えて、案外どんな装いにもすんなりとけ込んでくれる…これは、単に色合いだけの問題ではなく、やはり生地そのものの質、その紡ぎ方、織り方、そして製法(つくっているのはイタリアのF社でしょうが)に依るところが大きいのではないでしょうか。シルク・レップ(畝織りの絹地)を六つ折にして縫っただけ、芯地もなし、というシンプル極まりない構造ながら、なぜかくも他のネクタイとは異なる(凝ったつくりのものは数多あるというのに!)、控えめではあるが強烈な個性と品格を醸し出せるのか…Arnysにしか使えないダブル・フェイスのシルク・レップそのものの質の高さに瞠目せざるを得ません。Tie Your Tieで誂えた七つ折のネクタイや伝説のハーバーダシャー(紳士用品店)A.Sulkaのヴィンテージ・タイ、Don FeFe、などいろいろなクラヴァットをみてきましたが、これほど「相棒」として身近におきたくなるものは初めてです。写真からもお分かりかもしれませんが、使い込むにつれ、生地の張りやかたさが取れ、とろけるようにしなやかで柔らかくなるのが不思議です。
 
(ツィードのカントリー・コートとともに)

 Arnysという稀有なメゾンが産み出すモノには、どれにも唯一無二の魅力が詰まっています(Berlutiに買収されたこれからは未知数ですが)。けれども重衣糧という範疇で言うならば、たとえばオーセンティックなスーツよりもオフの日に着るスポーツ・コートに、その輝きを見いだしやすい。同じようなデザインや仕立てを他のメゾンが真似をしても、雰囲気や洗練具合がどこか違うのです。素材使いの特異ともいえる贅沢さも、抗いがたい魅力のひとつとして挙げなくてはなりません。たとえば上の写真のカントリー・コートなどは、繊細なシルクのキルティングとカシミヤ・ウールの裏地がツートンで間断なく張られ、表地につかわれている微妙な風合いのツィードと、よき好対照をなしています。釦ひとつ、裏地ひと張りにまで、メゾンの培ってきた伝統にもとづく矜持と美学をゆきわたらせることは、並大抵のことではない筈です。Berlutiによる買収騒ぎのことはよくわかりませんが、先人に倣い伝統を大切にする姿勢だけは貫いていただきたいものです。
 
 「右岸のHermès、左岸のArnys」とはよく知られたことばですが、僕の考えでは、Arnysのインテリジェンス溢れる遊び心とセンスはHermèsには見受けられないものです。もちろんHermèsの隙のないモノ作りの姿勢も僕は大好きです、しかしArnysの伝統の「特異さ」にもっと親しみを感じます。それはそのまま、右岸と左岸の街や暮らすひとびとの気質の差でもある、といえば、穿ち過ぎでしょうか…

(Arnysの「アトリエ・タイ」、Aubercyのギリーふうプレーントゥ・シューズ、Lindbergのアセタニウム)

  この写真は、この秋冬の装いのイメージです。Aubercyもパリが誇る素晴らしい靴屋のひとつですが、このギリーふうプレーントゥは七年ほどまえ、京都伊勢丹のアリストクラティコというお店で購いました。フレンチ・ラストを使った細身でエレガントな佇まいは、誂えの靴の良さを知ったいま見ても、美しいと思います。もともとは靴ひもの先に革タッセルがついていて、これまた粋でした。偶然ですがこの靴も、アッパーが深緑のシボ革で、ライニングが深紫です。おまけのように乗っけたアイウェアは、Lindbergというデンマークのアイウェアメーカーのものです。アセテートとチタンを組み合わせたモデルで、もはや僕の顔の一部となるほど馴染んでいます。鼈甲と深緑、深紫、案外落ち着いた、おもしろい組み合わせになりました。

 日本が誇る革小物司である岡本拓也さんの象革iPhone5カヴァーや、ジェノヴァの誂えシャツ屋Finolloのクラヴァット、ローマ教皇とアカデミー・フランセーズのホーザリィなど、ご紹介したいものはまだまだたくさんあるのですが、今回はこのあたりで…

2012年9月20日木曜日

Django Atourのシルバー・スタッズ

はばかりてすがる十字架や夜半の秋 不器男

 月はじめからなにかと忙しく、ブログを更新できませんでした。今後は、週に一度(或いはそれ以上)は更新できるようにしたいと思いますので、引き続きご愛顧のほどをよろしくお願いいたします。

 さて、僕はある一日の装いを考えるとき、何かひとつのアイテムを軸とすることが多いです。それは靴だったりネクタイだったりシャツだったり、あるいは服飾小物だったりと様々ですが、不思議とスーツやジャケットなどのいわゆる「大物」から発想することはあまりありません。ひとの目に留まるか留まらないかという程度にしか見えないアイテムですが、そうした部分にこそ心を尽くしたい、という潜在意識の顕現なのかもしれません。

 今回紹介するのは、Facebookで年長の畏友のウォールをのぞいたときにふと出逢った、Django Atourの服飾小物です。「不易流行」「温故知新」ということばが実質としてすべての作品のなかに込められてい、しかも価格も控えめな設定にされており、とても魅力的なメーカーだと思います。重衣糧にこそDjango Atourの真髄はありそうですが、とにかく試しに、誂えのシャツのためのスターリング・シルバー製スタッズと、コットンリネン・クラバットを購めてみました。ベル・エポック期を彷彿させる文様が美しく、ベロアの巾着袋もいい雰囲気です。


 既製シャツのフィット感がどうも僕にはしっくりこないため、数年前からAlessandra Mandelliというミラノ近郊のシャツ職人さんにお任せすることにしています。これはミラノの著名仕立て屋Mario Pecoraか、その弟子の佐藤英明さんの仕立て屋ペコラ銀座でしか注文できないそうです。
 襟型や仕様には、かつて追いかけていたベル・エポック的な要素を入れ込んでお願いしているので、 他の方が注文されているシャツとはちょっと異なるものが多いかもしれません。佐藤さんと雑談しつつ生地を選び、あれこれアイディアを思案する時間もまた愉しいものです。


 届いたスタッズをダブル・ホール仕様の誂えシャツにつけてみると、こんな感じになりました。普通のタブ・カラーではなくなぜこのようにしたか、というと、作家のトム・ウルフがKabbaz-Kellyというシャツ屋に注文したものの印象が強かったからです(どのようなシャツだったのかについては、A Suitable Wardrobeの記事をご参照ください)。一旦着用しネクタイを結んでしまうと、自分以外の誰からも窺えないデティールですが、誂えの愉しみはやはりこのような「めにはさやかにみえねども」という部分にあるのではないかと考えています。
 
 先日届いたArnysの"La Cravatte d'Atelier"(アトリエ・タイ)が素晴らしい雰囲気だったので、それを次回は紹介したいです。

 少しずつ秋風が吹き渡るようになってきた夜には、Barry Manilowのヴァージョンの『素直になれなくて』が沁みます…

2012年8月27日月曜日

夏の相棒たち

書に倦むや蜩鳴いて飯遅し 子規

 先週は僕にしてはあれやこれやと忙しく過ごしており、なかなかブログが更新できませんでした。 日中の厳しい残暑は相変わらずですが、それでも時折吹き渡る涼しい風や夜中の芳しい薫りに秋を感じずにはいられません。来る季節への期待がたかまります。

 という訳で、過ぎゆく夏の相棒たちを、すこし紹介したいとおもいます。


 夏のあいだ寄り添ってくれた愛すべきものたち…左から、シルク・リネン素材のネイヴィー・ジャケット(誂え)、エメラルドグリーンのコットン・ハンカチーフ(Mungai)、あざやかなマドラス・チェックのコットン・ボウタイ(Fine and Dandy Shop)、スーパーファイン・モンテクリスティのパナマ帽(Lanvin)。
 
 ジャケットは数年着込んで、かなりヨレていい風合いになってきました。ノッチド・ラペルに白蝶貝のふたつ釦、3パッチ・ポケットときわめて普通の仕様です。Mungaiのハンカチーフ、これは二十歳前のころ、うめだ阪急のセレクト・コーナー(カミーユ・フォルネや大峡製鞄も置いてました)で購入したもので、当時はその名前も殆ど知られていなかったおぼえがあります。ずっとしまったままでしたが、飛ぶ鳥(カモメかな、それともイソシギ?)の手刺繍も愛らしく、色合いも爽やかで気に入って、ここ数年愛用しています。マドラスのコットン・ボウタイは多色使いで一見難しそうですが、淡い色出しの鮮やかさが実にニクく、結構なんにでも合います。



 
 さて、このLanvinネームのパナマ帽とはかれこれ七年以上のつきあいになるでしょうか、イタリアにも被っていきましたし、夏の外出には欠かせないものとなっています。とても細かい編みが特徴で、繊細なのかと思いきや(湿気には弱いですが)可塑性・弾性に富んでいて、案外丈夫なのです。


 相当酷使しているのでそこかしこに傷はあるものの、日焼けの程度も浅く、一生の相棒となってくれる筈です。

 

 編んでくださった方の銘入りですが、これだけではどなたなのか判別しようがありませんね…

 こうやって夏の装いを振り返ってみると、秋冬ものと違って、使い込むにつれてヨレたり疲れが目立つ素材がおおいからか、そこはかとない儚さを感じてしまいます。密に手で織られたツィードは数世代でも(殆どくたびれずに)もつでしょうが、着込んだリネンやコットンはそうはいきません。それでも、愛情を持ってこうしたものたちを用い、身につけることによって、似たような他のどれとも違う、不完全だけれどオリジナルな味わいが醸し出せるのだろうと信じています。


 
 今晩はBarbra Streisandの歌うこの名曲が聴きたくなりました。次回は、来る秋からつきあってゆくことになるものたちを紹介したいと考えています。
 

2012年8月20日月曜日

ファドのある朝

よべの月よかりしけふの残暑かな 虚子

 相変わらずの厳しい残暑、ですね。スコール様の土砂降りになったり、あおさが目に染みる空の高さをみせてくれたり、不思議な季節です。

 夏の終わりを感じた折、ふと聴きたくなるのがファドです。うつろいゆくものへの愛惜は、どことなく日本人の感性に近いように感じます。

 今日はポルトガルの唄い手Maria Joãoの"Fado Do Coraçao Errante"をえらんでみました。伝統的なファドの様式美を踏襲しながらも(Ricardo Rochaのポルトガル・ギターの素晴らしさ!)もともとジャズ・シンガーとしてキャリアを始めた彼女にしかできない歌唱、素晴らしいと思います。 なにより、自分が生まれ育った国の産んだファドという音楽文化に対する、心からの感謝と敬畏がありありと伝わってきます。




 この曲が入っている1996年のアルバム"Fabula"は他のどの曲も素敵なのですが、それはKai Eckhardt de CamargoとManu Katcheのリズム隊のおかげかも知れません。伝統に則ったところからのみ真の革新がうまれる、音楽も装いも同じようです。

2012年8月18日土曜日

送り火のあとに -晩夏から秋にかけての「かほり」-


大文字木を焚く火とは思はれず 誓子

 気づけば立秋はとうに過ぎ、五山の送り火も済んでしまいました。京都の学校に通っていたころはあまりにも身近だったので(学校のそばにの字が綺麗に見えるポイントがありました)意識することもなかったのですが、京都とすこし縁遠くなってからは、八月半ばになると却って気になりだすようになりました。
 
 考えてみれば、送り火の前後からたしかに古都でも夜風は涼しくなり、季節が既に秋を迎える準備をしているようです。とはいえ日中の残暑は厳しく、そのなんとも宙ぶらりんな時期を愉しむのも日本人ならではの風流ではなかろうかと思っています。空気が少しずつ爽やかになってゆくのを感じ、漂ってくる「かほり」を嗅ぎ分ける…大切にしたい感性ですね。

 さて、秋の花の「かほり」といえば、金木犀(僕はどちらかといえば木犀の控えめな芳しさを愛していますが)ではないでしょうか。この花の薫りを好むのは日本人だけではないとみえ、(もともと金木犀が存在しなかった)フランスやイタリアのフレグランスにも"osmanthus"が調香されているものが散見されます。天然の精油はとても貴重で高価なのだそうです。ということは殆どが合成香料をつかって再現している薫りなのでしょうか。

 そうしたいくつかある金木犀系のフレグランスについて考えていたら、Oliver & Co."Vetiverus 11-11-11"というオードトワレを思い出しました。昨年買い逃してちょっと悔しい思いをしたのです。名前からしてベチバーの薫りが中心なのかと思いきや、レヴューされている方によると、金木犀の貴重な精油をたっぷりつかっており、ワイルドな(!)金木犀を存分に愉しめるとのこと。それを知った時には、限定11個は既に完売してしまっていました。

 その代わりに購入したのが、"M.O.U.S.S.E"です(冒頭写真の左端)。 これも133個の限定品で、僕のものは41番目なんだそうです。箱にかいてある調香を見ると、サンダルウッド、イソイースーパー、オークモス、ラヴェンダー・アブソリュート、クローヴ、アルデヒド、フレッシュ・ライム、となっています。ラヴェンダーもオークモスもサンダルウッドも大好きな僕にはぴったりの、アンバー・ラヴェンダー調の上品な薫りです。持続時間がちょっと短く感じますが、どの季節にも合うため、愛用しています。

 残暑厳しくなってから、想い出したようにまたつかいだしたのが、Santa Maria Novella(以下S.M.N)の"Marescialla"です(冒頭写真の真ん中)。これは相当マニアックなオーデコロンだとおもいます。マチス、ナツメグなどが中心のクセの強い薬草香で、単独で嗅ぐと強烈なのですが、肌馴染みが抜群で、汗をかいたら控えめに甘く薫り立つように変貌するのですから面白いものです。もしかしたら僕の体質に合っているのかもしれません。

 冒頭写真の右端にうつっているParfums D'Orsayの"Le Dandy"は、真夏にはちょっとトップノートがきつすぎる感じがして敬遠していましたが、秋から春にかけての最高のお気に入りフレグランスです。僕の所有しているのは調香が変わる前の200mlボトルで、ミドル〜ベースノートのサンダルウッドの秘めやかな薫りがとても愛おしいのです。会社の名前に冠されているドルセー伯は19世紀フランスに於けるダンディとして有名ですが、シグネチャーだったといわれるターコイズ色のサテン・クラバットよりなにより、僕は彼の墓に興味があります。そういえばドルセー伯のまともな評伝も数年前に出ていましたっけ…

 そうそう、せっかくドルセー伯の名前が出てきたので、ボゥ・ブランメル(久生十蘭は「西洋丹次郎」と訳していて可笑しかったです)以降のダンディ列伝もいつかこのブログで書きたいな、と考えています。モーリス・ラヴェル、ロベール・ド・モンテスキュウ、ボニ・ド・カステラーネ、バニー・ロジャー、ジャック・ド・バシェア、そして我が国の薩摩次郎八、西竹一…いつか、いつか…